努力は苦手で、夢中になるのは好きかも。

ゲームに約5年ぶりにドハマりしています。よく「意識の高い学生」として一括りにされがちな学生ですが、実は努力は苦手で、夢中になることが得意なだけなのでは、と気付き始めました。

ゲームは努力なのか?

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wiiuに対応したテレビがリビングにしかないため、そこでプレイすることになります。その際に、プレイ当初は「アンタはまたゲームばっかりして!」とか「ちょっとは手伝いなさい!」とかよく親に言われがちな、あるあるワードものすごく言われました。(※最近はないです)「こういうことで怒られること、懐かしいな」など思いつつも、怒られた時の気まずい雰囲気にものすごく違和感を覚えました。

 

私が何かデザインを考えて1日中アウトプットをする時間に費やしたとしても家族は有難いことに「あんまり夜遅くまでやりなや〜」と声をかけつつやりたいように見守ってくれます。しかし、ゲームをしていると「お母さんは遊びに出かけてるわけちゃうで!ちょっとは家事手伝いしーや!」ゲームもめちゃくちゃ頑張っているので、「それなら褒めてよ」と思うのですが、ダメみたいです。

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文章を書いていて自分自身でも「そらお前あかんわ」と自分が言ってることが意味のわからない理論に思い始めましたが、どちらも同じ感覚(努力?)であるのに、見られ方が違うのかについて考えるためにもう少し書き続けたいと思います。 

もしかして今までやってきたことは努力だけではない?

大学生になるまで勉強が大嫌いで、暗算や社会の歴史などが胸を張って言えるほど苦手でした。しかし、大学生になってから、急に魔法にでもかけられたように勉強が大好きになりました。デザインの歴史やマーケティングの概要についてなど、自ら知的好奇心旺盛に本を読み、色々行動してきたつもりです。ではなぜ、自分自身も引くほど人が180度変わった生き方をできたのでしょうか。自分の性格を不思議に感じていた時、あることに気づきました。「夢中になっていただけ」という部分もあるのかなーと。

 

夢中とは?

      1. [名・形動]
      1. 物事に熱中して我を忘れること。また、そのさま。「―で本を読む」「競馬に―になる」「無我―」
      1. 夢を見ている間。夢の中。
        • 「多数は猶安眠の―にあり」〈独歩・愛弟通信〉
      1. 正気を失うこと。また、そのさま。
        • 「余りの嬉しさに…―な程でした」〈若松訳・小公子

       夢中は、物事に熱中しているだけ。そこに努力やマインドセットなんてことはない。じゃあゲームに夢中になるのと、クリエイティブな仕事もどきに夢中になるのではなにが違うのか。こういう感じ。

     
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つまり、実況動画を作る=スプラトゥーンに夢中×動画編集に夢中

動画編集は他の動画制作のときにも応用がきくし、将来に役立つ(将来、スキを仕事にしたいなら)。すきなものとすきなもの(他者が評価しやすい形にアウトプットできるもの)を掛け合わせると0から1を生み出しているように見えるし、評価されやすいっぽい。組み合わせを増やすためになにか創作工夫することは楽しい。たまに努力しないといけないけど。ただ、夢中になれるコンテンツが見つかれば、最強なのかな、と思いました。